ボンが逝って、しばらくは深夜になるとふと寂しくなって、どうしようもなく涙が溢れてきました。夜中の静けさの中で、ただ泣いていました。
そんな時期、外からワンコたちの声が聞こえると、私は「誰かな?」と外に出たくなりました。人によっては、しばらくワンコの姿も見たくないという方もいます。でも私は違いました。玄関を出た瞬間、お散歩中のカノンちゃん、くるみちゃんやオハナ君に会うと、抱っこさせてもらいました。懐かしい重み、温かさ。そしてその子たちのご家族が、ずっと私のことを心配してくれていたことも、その時知りました。
周りを見わたせば、たくさんの愛が溢れていました。
お花を持ってきてくれた人、訃報を聞いてすぐ帰省してくれた娘、最期にボンのトリミングに駆けつけてくれたトリマーさん、お惣菜を作って持ってきてくれた友。そして、ボンが倒れてからずっとそばに寄り添い続けてくれたデデ。
私もボンも、こんなにもたくさんの人たちに愛されていたのだと、今更のように知りました。切ないくらいに。
ある日、「悲しいと感じるのは余裕があるから」と言われました。その友は去年、大黒柱であるご主人を亡くされ、生きていくのに精一杯で悲しむ暇もないとおっしゃっていました。悪気は全くなく、私を励まそうとしてくださった言葉です。でもその言葉は、深く刺さりました。悲しみの形は、本当に人それぞれなのだと思います。
そして私は、改めて気づきました。私はボンがいたから、今まで生きてこられました。本当に辛い時期があって、でもボンのためにしっかりしなきゃ、この子をちゃんと育てなきゃと思って、ここまで来られました。ボンは私の命の支えでした。
「ペットロス」という言葉は、私にはどこかしっくりきません。世間一般ではそう呼ばれているので、前の記事ではそう書きました。でも私にとっては、これは「ボンシアンロス」です。ボンシアンだから、ボンだから、唯一無二の存在を失った悲しみなのです。
周りを見わたせば、愛が溢れていました。その愛に気づかせてくれたのも、ボンでした。
ありがとう、ボン。そして、みなさんへ。心からの感謝を伝えたいと思います。
余談ですが、私おしゃべりだとよく言われますが、書くことも好きな様です。書いていると本当に心が落ちつんです。Bonのことなら何時間も話せるし、書くこともできます。



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